本当の母は同居しているので、母から葉書が届くことはない。いや、一緒に暮らしているからといって、葉書を出していけないわけではないので、届くこともあるかもしれない。でも、届いたとしたら何を伝えるためのものだろう。考えていたらちょっと怖くなってしまった。
タケウマな日々
2024年9月7日土曜日
2024年9月5日木曜日
秋涼し硯に墨をすればなほ 9月5日(木)
無職となったら時間だけはあると思っていたのですが、そんなことはないですね。仕事をしていたときと変わらず24時間しかない。ぼーっとしている間にどんどん過ぎていきます。
当初の予定では、朝食後に体を動かした後は図書館に通うつもりだったのですが、ジョギングの後シャワーを浴びるともう10時で、これから出かけると昼食はどうする?とか考え始めるともうダメで、とりあえず目の前のことをかたづけてからと掃除やらメールのチェックやらをしているうちに気がつくとその流れで昼食を作っていたりします。
午後はつれあいの入院する病院に行くので、図書館はまた明日となるですが、その明日はなかなか来ないのです。ジョギングやめればいいのだけど、毎日走ることがちょっとしたよろこびになっているからなあ‥‥
2024年9月3日火曜日
秋手入東へ急ぐ雲群れて 9月3日(火)
文庫本サイズの上製本『一年前の猫』(近藤聡乃/ナナロク社)の帯には「猫のエッセイと絵 小さな作品集」と本の説明があるだけで、よくある著名人の推薦文や売らんかなの煽り文句はなく、この本の趣旨がわかったらさっさと帯を外して本をめくりなさいと言われているような気がします。
近藤さんの家で三年前から暮らす猫たちにまつわるエッセイ八篇が基調ですが、エッセイとエッセイの間に別紙(!)で挿入される絵のページ、巻頭、巻末に置かれた二つ折と四つ折りの別丁扉と凝りに凝った造本は、本という「もの」の魅力を教えてくれます。
この九月に無職となって、少ない蓄えを切り崩して細々と生活している身としては、まず切り詰めるべきは書籍代なのですが、この本のように、手に持つ喜びを与えてくれる本にであると、なかなか自制がききません‥‥ 困った‥‥
追伸
唐突な無職宣言ですみません。お世話になった会社にはまだしばらく在籍できたのだけれど、いまの自分のためだけに時間を使ったほうがよいかなと思った次第です。いずれ仕事には復帰したいと思っていますが、しばらくぼんやりと本を読んで過ごすつもりです。
2024年9月2日月曜日
水瓶のみちて野葡萄色づくか 9月2日(月)
山葡萄は黒く熟し食べることができるらしい。野葡萄は、紫、青などに色づくが食べらないらしい。正確には、毒はないがおいしくないとのことだから、どのようにお石くないか試してみたい気もするのだが。
2024年9月1日日曜日
バス停の風が風呼ぶ休暇明 9月1日(日)
今日から9月ですが日曜日なので、本当の休暇明けは明日となりますね。
とはいっても、それは学生の話で社会人は必ずしもそうではないし、
会社を辞めてしまったボクには、明日も明後日も休暇のままなのですね。
いや、休暇とは仕事がある人に与えられるものだから、休暇自体がないということかも。
まあ、それはそれで良いのだけれどね。
2024年8月31日土曜日
2024年8月30日金曜日
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母からの葉書白露の朝のこと 9月7日(土)
本当の母は同居しているので、母から葉書が届くことはない。いや、一緒に暮らしているからといって、葉書を出していけないわけではないので、届くこともあるかもしれない。でも、届いたとしたら何を伝えるためのものだろう。考えていたらちょっと怖くなってしまった。
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昔、穂村弘さんがスワンボートに乗った写真を見たことがある。新聞のインタビュー記事だったか、多分井の頭公園の池で、笑うでも怒るでもなく真摯にボートを漕いでいる穂村さんが素敵だった。あの何も考えていないようなスワンボートと対峙して互角に勝負できるのは穂村さんしかいないと思った。その記...
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《子規の彼方にー脱「月並」》と題されたシンポジウムで、「今日的に見て、月並俳句と思われる二句」という設問に自句を挙げた宇多さんは、自己反省の理由を述べつつ、月並俳句もけっして悪いものではないと続けます。 「俳句を愛好する人たちの中に、月並が一つの層をなしてあることは頼もしい...