「俳句を愛好する人たちの中に、月並が一つの層をなしてあることは頼もしいことだと思う。その中から個性を持った非月並の句が歴史的に残っていくのかもしれないけれど、その分母としての月並は愛すべきものでしょう」
陳腐と切り捨てた自句も、宇多喜代子が俳人・宇多喜代子となっていくために必要な一句だったとも受け取れます。また一方で、嬉々と月並俳句の凡庸さを指摘する他のパネリストに向けて「あなたがたにもつまらない句があるでしょう」と問いかけているようにも思えるのですが、これはちょっとおもしろがりすぎかもしれません。
むしろ、歴史的な名句を残すことができないとしても俳句を作ることの楽しさを見つけた愛好家への温かい視点からのものと解するほうが、宇多さんらしいのでしょう。歳時記に掲載されるような句を賜わることは、多くの俳句愛好家にとってはまれなこと。ただ、そういった歴史的に残る句だけが俳句のすべてではないと言っているように思えるのです。
「俳句」7月号
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