二十二の碧は、ちょうど倍年上の笹原サンとつきあっている。笹原サンは碧の父の友人で、父を亡くした碧の面倒をいろいろみてくれた。おくさんもこどももいるけれど、笹原サンの無邪気で人のよい性格ににひかれて、いつまでもいっしょにいたいと思い、笹原サンも同じ思いを抱くのだが……
午後にあうと、いつも、もう髯が濃くなりはじめている、それはまるで、何かとり返しつかぬ悔恨に似ている。父も、姉の夫も、髯が濃くないので、笹原サンの頬や下顎の濃い影は、わたしには珍しかった。髯は濃いのに、笹原サンは額も、あたまのてっぺんも禿げている。でも、それもわたしには無邪気にみえる。そうして、髯はざらざらして、痛いのに、彼の唇はやわらかいのだった。田辺聖子・「春つげ鳥」/『孤独な夜のココア』(新潮文庫)所収
朝剃った髯が夕方には伸びて影のように見えることを「five o'clock shadow」というらしいけれど、あの影は悔恨だったのですね。どちらかというと髯の濃いボクも毎日悔やんでいるわけだ。そう、髯はざらざらしていて痛いのだろう。唇がやわらかいかどうかは自分ではわからないけれど。